クジラのおなら:海の巨人の腸内ガス
クジラのおならは長年にわたって研究者の想像力を刺激してきましたが、科学的記録は驚くほど少ないものでした。これは単純な理由からです——深海に生息するクジラのおならを観察・計測するのは非常に困難なのです。しかし近年、ドローン技術の進歩により、クジラのおならについて初めて真剣な科学的知見が得られるようになりました。
ドローンが捉えたシロナガスクジラのおなら
2017年、カナダの海洋生物学者チームがドローンを使ってシロナガスクジラのおならを初めて科学的サンプルとして採集することに成功しました。クジラが水面で呼吸する際の噴気(潮吹き)の中におならのガスが混入していることを利用したもので、ドローンでペトリ皿をクジラの噴気口上に掲げてサンプルを採取しました。分析の結果、クジラの噴気には腸内細菌由来のDNAが含まれており、クジラの健康状態やストレスレベルを非侵襲的に評価できることが示されました。この手法は「エアーバイオプシー」と呼ばれ、現在では複数の鯨類調査に応用されています。
クジラの消化システムと大量のガス産生
シロナガスクジラは1日に約3.6トン(3600kg)のオキアミを消費します。この膨大な量の甲殻類が多房式の胃(反芻動物の胃に類似した構造)で消化される際、腸内細菌によって大量のガスが生成されます。海洋科学者の推定によると、大型のクジラ1頭が1日に生成するガスの量は数百リットルに達する可能性があります。興味深いことに、クジラの腸内細菌叢は水中環境に特化しており、陸上の哺乳類とは大きく異なるユニークな組成を持っています。潜水中は肛門括約筋の高い水圧によってガスの排出が抑制されるため、水面近くで一気に排出されると考えられています。
クジラのおならの臭いと目撃報告
クジラのおならを直接経験した研究者の証言によると、その臭いは「腐った魚と海藻を混ぜたような」強烈なものだということです。ある海洋生物学者は小型ボートで調査中にシャチ(オルカ)のおならの気泡の中に偶然突入してしまい、「目が痛くなるほどの臭いで数分間動けなかった」と報告しています。水面から見るとクジラのおならは水中に「虹色の気泡」として現れることがあり、観察者からは「虹色の雲」と表現されることもあります。ちなみに、気泡の大きさと持続時間から推定すると、その体積は数十リットルに及ぶこともあるようです。
気候科学との接点:クジラの栄養循環
クジラのガスは気候変動の議論に意外な形で登場します。クジラの糞(液体状で海面付近に排出される)は鉄分や窒素が豊富で、植物プランクトンの増殖を促進します。植物プランクトンは光合成によってCO₂を吸収するため、クジラの排泄活動は炭素循環に寄与しています。国際捕鯨委員会(IWC)の研究では、クジラ個体数の回復が海洋の炭素吸収能力を高める可能性が示されています。この観点から、クジラのガスとうんちは気候変動対策にとって予想外の「味方」と言えるかもしれません。
知っていましたか?
- ドローンを使ったシロナガスクジラのおなら採集「エアーバイオプシー」が2017年に成功し、非侵襲的な健康調査に活用されています。
- シロナガスクジラは1日約3.6トンのオキアミを食べ、数百リットルのガスを生成すると推定されます。
- クジラのおならは水中で「虹色の気泡」として現れることがあります。
- クジラの糞が植物プランクトンを増やし、炭素吸収を促進することで気候変動緩和に貢献しています。
豆知識
2006年に行われたザトウクジラの行動観察研究で、クジラが「バブルネット給餌」(気泡の壁でオキアミを囲い込んで一気に捕食する戦術)を行う際、消化管からのガスも意図せず混入することがあることが確認されました。つまり、クジラは狩りのツールとして意図せず自分のおならを使っている可能性があるのです。研究者たちはこれを「偶発的なガス利用」と記述しています。
出典
- Apprill, A. et al. (2017). Extensive core microbiome in drone-captured whale blow supports a framework for health monitoring. mSystems, 2(5), e00119.
- Pershing, A.J. et al. (2010). The role of large marine mammals in the carbon cycle. PLOS ONE, 5(10), e13255.
- Jefferson, T.A. et al. (2015). Marine Mammals of the World. Academic Press.